子供の喚き声が辛いとき。勝手に頭の中で翻訳してない?

乳幼児期の子どもの喚き声って、親のストレスの原因ランキングでいうと3位以内には確実に食い込むと思う(なお1位はぶっちぎりで睡眠不足)。

赤ちゃんのころはまだよかった。何も話せずワンワン泣くだけだから、ミルク食事オムツ睡眠さえ世話をしてれば、あとはもうノリ、勢い、根性で乗り切るだけ(いや、めっちゃつらいけどね)

しかし1歳後半あたりになってくるとそれなりに自己主張を始めるしちょっとずつ言葉が出てるし、なにせ声がでかい。ギャンギャンである。

そりゃー出来るだけ希望は叶えてあげたいけど、こっちにもこっちの都合があるのよギャンギャンギャン。

0歳児の頃の泣き声は「耳障りなBGM」だったのが、
話せるようになると「爆音自己主張」になり、脳の処理ジャンルで言うと「大人の怒鳴り声」に近づいてくる。

私のストレスも爆発、ストレス解消するために夫に子ども預けて出かけると今度は夫のストレスが爆発で、もう完全によくない循環が生まれるわけですよ。

そこで私は考えた…子どもの癇癪をゼロにするのは無理だ。

ならば、私の心のありようを変えることでこのストレスに対処しようではないかと。

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何故子どもの喚き声はシンドイのか

よその子の泣き声はどんだけデカくても、私はだけど、全然イライラしないんですよね。

おうおう、元気やのぉ〜くらいで余裕のスルー。

やろうと思えば真横で仕事もできると思う。

昼寝も出来そう(根がガサツなんで)そのくらい平気。

でも自分の子どもだとただの数秒でもたまらない気持ちになって、とんでもなく気持ちが焦る。仕事どころかメール1つ読めない。

たとえばこれが電車の中とかだったらね、泣き止ませなきゃ!って焦るのは当然だよね、周りの方に迷惑なんで。

そら普段飲ませないジュースとかも何本でもぶっ込みますよ。

でもどうして家の中でまで子どもの泣き声にこんなに焦ってしまうのか、こんなにダメージを受けてしまうのか?っていうのをちょっと考えてみたところ。

するとね、子どもに泣かれてるときの私の心の中に浮かんでることって。

「なんでちゃんとやってくれないの!?お母さんなのに」

「どうして泣かせるの!?泣き止ませてあげるのはお母さんの役割でしょ!」

「なんでこんな辛い思いさせるの!?」

みたいなものだった。

なんというか勝手に子どもの声を翻訳してた。それも自分を責める方向に。

自分の中に

「子どもにはいつも楽しい気持ちでいてほしい」

「辛い思いをしてほしくない」というのがあり、

子どもが泣いているとそれが達成できていない責任を感じて、子どもに責められているような妄想を作り上げていた。

この妄想に問題があるな、と。

子どもの気持ちは親にはわからない

この妄想に気づいた時、最初に浮かんだ疑問。

「私はなんで、自分の子供のことをそんなに性格悪いと思ってるんだろう」ってこと。

なんで子供が不快に陥ったら、真先に私を責めると思い込んでるんだろう?

子供は

「不快じゃー」って泣いているだけである。

それをなんでもかんでも自分のせいだとか、自分が責められてると感じるのはただの被害妄想だ。

たとえ小さくても息子は1人の人間。

彼の不快や怒りは彼自身のもので、そりゃあ親の私がやれることは最大限やるけれども、すべてをコントロールできるわけはない。

私は子どもをコントロールしたい、コントールできるべきだ、と思っていた。

これは完全に間違いだ。

完璧な毎日なんてない

それともう一つ。

「子どもにはいつも楽しい気持ちでいてほしい」

「辛い思いをしてほしくない」という気持ちを持っていること。

これも多分間違っている。

希望を持つことはいい。

できれば子供に楽しくいてほしい、辛い思いをしないでほしいなあというのはいい。

けど、それが叶わなかった時に悲しくなったり、自分を責めるのなら、それは多分、「良くない完璧主義」に陥っている。

「いつでも笑顔で楽しい毎日」なんてありえない。10000%ありえない。

「辛い思いをしない人生」なんてもっとありえない。

これらのイメージは無茶な幻想だ。不可能だ。

人生は完璧じゃない。

完璧な人生なんて人生ではない。それは夢物語だよね。

自分の中の思い込みを書き換える

と、ここまで気がつくことができた。
自分が持っている間違った思い込みに気づくところまでいけば、その修正ってじつはけっこう簡単なんである。

あとは
子どもの泣き声に対し、新しい、正しい(無駄なストレスのたまらない)思い込みを作るだけ。

子どもの喚き声への古いイメージ:子どもを泣かせるなんて、子どもを幸せにできていないということだ。私の責任。ひどい親。子どもがかわいそう。
子供の喚き声に対し作り直したイメージはこう:
子どもは嫌なことがあれば泣く。私にしてあげられることもあるけど、無理なこともある。子どもの人生には嬉しいことも嫌なこともあって、人生はそれでOKだ。

子どもの喚き声が不快なのは当然ではなかった

私はどこかで、「自分の子どもの泣き声喚き声が不快なのは本能的なもので仕方がない」と思ってたけど、結果から言うと全然違ってた。

上のようにイメージを書き換えて以来、自分の子どもの泣き声も、よその子のそれと同じくらい気にならなくなった(本当に!)。まあ普通にうるさい時はあるし、その場でやれることはやるけどね。やれないことは潔くあきらめて、子どもを思い切り泣かせてやるのも仕事だなあとか思ったり。

よくよく考えれば私は小さい頃、親に「いつまでも泣くな」って叱られてた。あれ、嫌だったなあ。。

まとめ

私が子どもの泣き声を気にしすぎるのは、そこに自分の妄想が乗っかっているからだった。子どもの人生は子どものもの!ということを意識すると随分楽になったよ!

もちろん子供の泣き声が辛いのはこれだけが原因ではないけど、同じような状況に陥ってる人もいるのでは?と思って書いてみました。なんかのお役に立ちますよーに。

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