今更愚痴っていうんでもないけど、幼児の世話って本当に大変だ。
何が大変って、子供って自分の世話ができないんだよね(当たり前だけど)
お腹が空いたら、喉が乾いたら、腹が立ったら、退屈になったら、眠くなったら、その都度大騒ぎして親に手伝いを要求する。
親はあの手この手を使って子供の機嫌をとり、体調を管理する。子供は何も教えてくれない。教えてくれてもあまり信用できない(例えば、ポンポンが痛い!とか言ってても、実際に痛いのは胸だってこともあるし、そもそも「痛い」とか言ってみるのがブームなだけってこともある)。
だから親は常に子供に対して前のめりにならざるを得ない。ねえ何が好きなの?どっちがいいの?何が食べたいの?寒くない?暑くない?楽しい?眠たい?もう帰る?お出かけする?
それでもやっぱり分からなくて、子供は泣き始める。するとまた親は尋ねる。どうしたの?何が嫌だったの?寂しいの?自分でやりたかったの?あれで遊びたかったの?…
どうして私は自分のことは放っておくんだろう
で なんでこんなことを長々書いてるかって、
「私は子供のお世話がこんなにできるのに、どうして自分のお世話はちっともやってあげないんだろう」ということをね、ふと思ったからなのです。
もちろん余裕がないというのはある。毎日忙しくて、自分のことは後回しにしちゃいがち。
でも、それだけじゃない。例えば私は子供がいない頃だって、独身の頃だって、こんなことを自分にやってあげてはいなかった。
自分に対して、全然前のめりなんかじゃなかった。他人の顔色ばっかりみて、他人に対して前のめりになることはあっても(あの人は何をしたら喜ぶかな?)(どうやったら好きになってもらえるかな?)、自分のことはずっとほったらかしだった。
楽しくない話題で笑って、やりたくもない課題や仕事をやって、周りの人が笑ってくれたら、それでなんとか、自分のことを褒めてあげることができる…みたいな。
ま、今はそこまで自分を無視してはいない。自分の中に何か欲求が沸いたら、それを無視せずになるべく実現しようと頑張るようにしている。でも、それでも、前のめりにはなっていないなーと思うんだよね。
「自分からちゃんと主張してくれば、ちゃんと叶えてあげてるよ、幸せにしてあげるよ」みたいな感じ。
それは、子供に対してのあの感覚とは全然違ってて。
自分でも不思議だなと、なんか急に思いついたの。こんなに自分を大事にしたいと思ってるのに、どうしてそれをやらないんだろうか?
子供に接するように自分に接する
子供が泣いて大騒ぎをするたびに思う、「いや、泣きてえのはこっちだわ」って。笑
大人になったって、泣き出したくなることはたくさんある。そういう時、どうして「私は大人だから泣いちゃダメ」って思っちゃうんだろう。
いやもちろん、公衆の面前でギャン泣きするのは流石にどうか、っていうのはあるんだけどさ。
でもストレスがたまるのは当たり前だし、そうやって泣きそうになってて、そんでそれを我慢して。もしもこれが、私自身じゃなくて私の子供だったら。
私は「よく我慢したね、偉いよ」「そんなに我慢しなくていいよ、おやつ買って帰ろうね」って、絶対絶対子供に言ってあげるのに。
私はどうして自分にそう言ってあげないんだろうか?
いや、言ってあげるべきだ!と思うのである。
今日も朝からめちゃめちゃ仕事を頑張ったし、明日やろうと思ってた仕事まで前倒しで少し片付けた。
今までなら、「うん、よし、頑張った。気分いい」って感じだった。
でも今日からはこう考えようと思う…小さい子供がこれをやってたらどう褒めてあげるだろう?
「明日の分までやるなんて超偉いじゃん!明日はちょっと空いた時間に、どこかに遊びに行こうか!?ねえ、どう?楽しくない?」
うん、そうそう、こんな感じ。
どこまで自分を大事にできるだろう
子供がいない人は、もし子供がいたら…って想像していただくでもいいし、ペットに対してとか、大好きな人に対する思いやりの感覚で想像してみていただくと、この感覚分かっていただけるんじゃないかなあと思う。
自分で自分を大事にするっていうのも口にするのは簡単で、実行するのはメチャクチャ難しい。だから時々こうやって、日々のひらめきから行動を改善している。
同じように「自分を大事にする」を実行してる人に役立てばいいかなと思って、ちょっとシェアしてみたのでした。
コメント