太古の昔から続く男女の戦争、愚痴問題
いやほんとこれずっと昔から話題に上るのに、未だにあんまり解決してないの逆にすごいなーと思う。そのくらい根深い問題なんですよね。
女性が「共感してほしい」「話を聞いてほしい」と何度説明しても求める結果が得られないのも、きっと男性は「共感して」「話を聞く」を真剣にやればやるほど、女性の想像する「共感」「話を聴く」からは離れていってるんじゃないでしょうか。
ストレス発散に愚痴を使う人、使わない人
で、結局はここなのかなと。
女性はストレス発散に愚痴を使う人が多くて、男性は、それをしない人が多い(全員じゃない)
「話してストレス発散」をやらない人は、ストレスの元に視線を合わせてどうこう言うよりかは、目をそらしてまったく別のことで気を紛らわす方向に行きがちかなあと思う(お酒飲むとか、趣味に走るなど)。
そういう人にとっては、愚痴っていうのは「なるべく我慢すべきだけど、ついつい漏れてしまうもの」。
で、人間の常なんですが、ついつい自分の基準で他人の行動を想像してしまうわけで、
こういう「愚痴らない」タイプの人が
愚痴っている人をみると、
「(本来我慢すべき)愚痴が出てしまうということは、よほど辛いのだろう」
という想像をして、真剣に助けようとした結果「解決しようとする」のではないだろうか。
この流れが、喋ってストレス発散する側からすると
「愚痴った瞬間口を塞がれた」ような気分になり、
せっかくのストレス発散を邪魔されたような印象になってしまう。
「ちゃんと聞いてくれない」は誤解
すると喋って発散したい人は「私の話をちゃんと聞いてくれない」と怒るんだけど、
「喋って発散」が理解できない側としては、ちゃんと聞けば聞くほど「こんなに愚痴るなんて、すごく大変なことが起こっている、助けなきゃ!!」という方向に向かい、余計に「解決する=愚痴を終わらせる」ことに一生懸命になってしまうという。
結果として愚痴った側には「ちっとも聞いてくれない!」という不満が溜まったままで、聞いていた側には「真剣に聞いてるのに、聞いてないと難癖をつけられる」という不満が溜まる。
なんか、せっかくの善意が伝わってないのって切ないことですよね。
この誤解を解くには、やっぱり愚痴る側が、「どんな風に聞いてほしいか」ということを具体的にリクエストするしかないかなと思います(聞いてもらう手前)。
で、もしかすると漫画に描いたように「軽く聞いて」とリクエストした方が、むしろ「しっかり聞いて」もらえる可能性が上がるのかもしれない。
まとめ
世の中には、愚痴をストレス発散の手段だと思っている人と、そうでない人がいる。
「コミュニケーションのスタイルは人によって様々」ということに尽きるんですが、
いついそこを忘れちゃうので、摩擦が起こったら、「相手がおかしい」と思う前に、「どうしてこうなるのかな?」ということを考えたいものですね。
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