普通をやめる/火星人の日記

昨年の夏頃、世界観が完全に変化してしまい脳みそがお花畑になって、人と会話する機能を半分くらい失った。

私が普通だと思うことが周囲の人にとっては異常で、私にとって異常なことが、周囲の人にとっての普通。人の気持ちが全然わからない。いや、想像はできるけど、共感・共鳴することが全く出来ない。

完全な異常者が出来上がってしまった。これがサイコパスというやつだろうか。

 

とはいえ、生活にはそれほど困っていない。

英語を喋る時みたいなもんで、ちょっと脳みその中でスイッチを切り替えてノーマルな価値観の方を使えばいいだけだ。

家族と喋るとき以外は、ずっとそうやってしゃべっている。

どうせわかってもらえないから、とかそういうことではない。そうではなくて、私が素直に喋ると傷つく人、嫌な思いをする人がいっぱいいるから避けているというのが正しい。私は無意味に人を傷つけたくはない。そういう意味ではサイコパスではないと思う。

むしろみんなに、優しくしたいと思う。幸せになってほしいと思う。笑顔で暮らしてくれたらいいなと思う。大マジで思う。

でも、私が「優しく」すると、人はギョッとした顔で私を避けていく。

サイコパスというより、悲しきバケモノか。フランケンシュタインか。

 

思えば小さい頃から、普通の感覚と縁が遠い人生だった。

どう擬態しても、どう取り繕っても、「変な人」の枠に投げ込まれて出してもらえない。

「中二病」とか「個性的って言われたいんですね」みたいな揶揄を真剣に捉えて自己批判をしてみたこともあったけど、やっぱり私はどう考えても、ずっとずっと、普通になりたい異常者だった。普通の女の子になって、友達グループに入ってて、親友がいて、おしゃれして、アイドルとか好きで、少女漫画とか読んで、、という感じの…こういう表現自体が女の子をバカにしてるって思われるんだろうか?よくわからないけど、とにかく私の目には、普通をやれてる人たちがすごく眩しく、羨ましく見えたものだった。

私、頑張っていた。頑張って、普通をやっていた。普通が上手にできるようになった。普通をやる能力はとても大事なんである。普通はエライんである。これは嫌味でもなんでもない。普通の人が世の中を支えている。普通は立派である。普通じゃない人が全員無理やり普通になるべきとは言わんけど、それとは別の問題として、普通は大事なことだ。

私は普通を頑張れた。だから生きづらいとかはあんまり思ったことない。

 

しかし前述の通り昨年の夏。

ふたたび、私は「落っこちてしまった」。ゲームのキャラクターがマップの端っこでポリゴンの穴にすっと落ちるみたいに。世界観がぶっ壊れて、もう2度とゲームの世界観に没入することができない。

5歳くらいの頃、自分が普通ではないらしいということに気が付いたあの瞬間に舞い戻ったような気分だ。

でもあの時と違うのは、私はもう、普通を頑張ろうとは思わないということ。

私は異常な人間としてこれから生きていこうと思ってる。

普通の人の前でちゃんと普通に整えることはこれからも続けるし、普通はエライということはこれからも強調していきたい。

でも私はもう、普通を頑張らない。

もともと、普通をやるために生まれた人間じゃないんだと思う。普通の人がいるためには、普通じゃない人が必要になる。私は普通を支えるために存在する側の人なのだ。私は思考がマイノリティ、やや異常、ちょっとした変人。それだけの話。

それを認めて生きていこうと思う。

私はバケモノじゃない。サイコパスでもない。そう、なんかたとえば異星人みたいな存在だ。私は地球人とも仲良くやる火星人でありたい。

 

長く放置してたこのブログだけど、これからは火星人の立場、変人の立場で色々書いていこうかなーと思う。

今やらせていただいている連載(cakesさま、chantoさま、いつもありがとうございます)は地球人として頑張ってるモードで書いてるので(書いてるつもりなので)ここでは火星人むき出しで。

誰かがブログを読んで「変なやつだなー」とか「面白いなー」とか思ってくれたらいいなあ(人を楽しませるのは大好き)、くらいのユルーイ感じ。ゆるゆる火星人ブログです。

それから、多分この世にたくさんいる他の異星人に向けて、私はここにいますよとうちょっとしたアピールの意味もある。やっぱり1人はさびしいしさ。

こちら火星人です。応答どうぞー。

コメント

  1. Shibaken より:

    (*^▽^*)