分かり合いたいのに、分かり合えない
「うちの夫、言えばまあ何でもやってくれるけど、言わなきゃやってくれないんだよね」
という愚痴、本当によく聴きます。
私もちょっと前まで夫に同じようなことで苛立っていました。
「言えばやるっていうけど、どうして私が逐一頼まないといけないの」
「家のことも子供のことも、二人のことでしょう。もっと率先して動いて」
「私はあなたが何も言わなくても察して動いてるんだから、あなたももっと考えて」
こういうことを言っても聞いても、まともな返事が返ってこない。質問に質問で返ってきたり、夫が怒って話が終わるんですよね。
もう、なんというか会話にならない。お互いに意味不明という感じで。
どうしてこんなに言葉が通じないの?同じ日本人でしょ!?って不思議でしょうがなかった。
バカなのか?いや違う、ただ「違う」だけだ
で、こういうやりとりが長い間続くとですね、人は自然とこう思うんですよね。
「話しても通じない…こいつはバカなんじゃないか」
「話しても通じない…こいつは嫌なやつなんじゃないか」
私の頭にもこういう考えがなんども何度もチラついた。
けど絶対にそれはない、という確信だけはあったんですね。
「うちの夫は賢いし、優しくていい奴だ」というのは、
もうゆるぎなく間違いなく絶対的に事実だと確信していたので、
じゃあ、どうして優しい人なのに、こんなに話が通じないのか?なんでこんなに冷たいことをするんだ?という風に、疑問が移っていって。
で、私なりに夫の発言や怒りに何度も触れる中で、こういうことを考えてるのかな?というのがだいたい分かってきて、夫の反応や返事、発言が、かなりの精度で予測できるようになってきた。
と同時に、自分の行動の理由も、自分で自覚できるようになってきたんです。
最終的には、自分の行動の方を夫に合わせて矯正していくことで、こういう喧嘩が激減しました。
「違う」ことが分かるだけでも全然違う
つまるところ、これは価値観の問題なんだ!と私は気づいた訳なんですけど。
価値観ってね、あまりにも強固に自分の基本として刻まれているんですね。だから、それが「自分の価値観」だとすら気づくことができない。
ずっとコンタクトレンズをはめてて、あまりに小さい頃から入れっぱなしにしてるから、それが裸眼だと思ってるような状態なんですよ。
だから、まずは気がつくことが大事。
「これは正義じゃない。常識じゃない。私の価値観なんだ」
「あれは間違いじゃない、非常識じゃない。あの人の価値観なんだ」
それだけで、少し相手に優しくなれるし、違う者同士尊重し合うことができるのかなと。
自分軸と他人軸
ここに描いたのは、2種類の価値観の形です。
自分軸のモデルはうちの夫(極端に描いています)
他人軸のモデルはかつての私(極端に描いています)
あのーもちろんね、こんなに簡単じゃないんです。バッサリ線が引けるようなもんでもないし、
多くの人は、こうした特性を両方持っていて、場所によって使い分けたり勝手に切り替わったりしてるんです。
でもなんにしても言えることは、ほとんどの人が「自分の考え方が普通だ」「自分が正しい」と考えてしまう、ということ。
「これが普通だ」から、「きっとあの人もこう考えているはず」「あの人もこうしたいはず」。
漫画のように極端に違うタイプが出会うと、その予想がことごとく外れてしまう。それが最悪、冒頭のような喧嘩に繋がっちゃうわけなんですけど。
なんかね、こういうタイプの喧嘩がね、なくなれば、、せめてね、少なくなればいいなあと思うんですよね。
「他人優先」は良いことか?
ところでこの漫画を描いてtwitterにあげた時、
「他人軸なんていうと聞こえはいいが、ただのわがままじゃないか。もう片方の方が優しいし人を尊重してる、自分軸なんていうネーミングは失礼」という反応を結構もらったんですよね。
これが私としてはとっても意外だったです。
私は多分夫に感化されたというのはあるんですけど、もうここのところずーっと、
「他人を優先してたら苦しくなる」「自分を優先してちゃんと満たさないのはむしろ身勝手」「他人を軸にするのは、いわば顔色を伺い続けること。辛いこと」だと確信して暮らしているので、
むしろ他人軸の人から「他人軸なんていうネーミングは失礼すぎ」っていう反応をもらうかなあと思ってたんですけど。これが逆だった。
ということは「自分を犠牲にして他人に尽くすのが正義」「自分を優先するなんてわがまま」という価値観が世の中で主流なんですよね。
驚いたけど、、、まあでも、そりゃそうですね。
そりゃそうだし、ネーミングを変えることも考えたんですけど、色々思うところもあり(そこもいつか書けたら良いな)、一旦このままやらせていただきまーす。
まだまだ書き足りなかったので続きも書きました↓
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