自分の気持ちがわからん症候群

他人の気持ちはどう転んでもわからない。どんなに想像したってただの想像だ。
私たちにわかるのは、自分自身の気持ちだけである。

しかしあまりにも自分の気持ちを抑制し続けた結果、自分の気持ちすらサッパリ分からなくなっている人がいる。

というか、なにを隠そう私自身がそういうタイプだったというわけなんですけど。

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自分の気持ちがわからん症候群

自分の気持ちがわからん症候群の人は、別に感情がないわけではない。

むしろ感情に振り回されることが少なくない。

突然強い怒りや悲しみに襲われたり、他人の振る舞いが自分に直接迷惑になるわけでもないのにどうしても許せなかったり、自分を全く大事にしてくれない相手に執着して離れられなかったり。

でも、それがなんでなのかサッパリわからない。

自分は単に短気なんだとか、自分がダメだからとか気弱だからとか、あの人が非常識だからとか、ダメンズ好きだからとか、そういう言葉で自分を納得させてしまいがちで、要するに自分か他人かのどちらかを責めて納得する。

「で、あなた自身は実際どう思うわけ?」

そんなことを誰かに尋ねられると、何か胸がざわつくような、不安な感情に襲われる。

そして苦し紛れに、こんなふうに答えてしまうのだ。

「いや、だって、ただ、これは、●●であるべきで。。。」

「べき」の魔法で口封じ

「べき」という言葉は、こういう人たちにとって非常に重要なワードである。

自分の気持ちがわからん症候群の人たちは、例外なく、「親」または「先生」など、幼いころの自分にとって重要な気持ちの拠り所であった人に、
「お前はそういうことを思うべきではない」という教育を施されている。

「お前は怒ってはいけない」「そんなことで泣くな」とかが分かりやすいバージョン。

もちっと進化すると、
「悪いのはお前だ」「そんなことするのはみっともない」「調子に乗るな」
とかの言葉だ。

幼いころの私たちはこういう言葉を簡単に飲み込んで、自分の感情に罪悪感を抱くようになる。

自分の欲望や素直な心…誰かに腹が立ったり、誰かに甘えたかったり、もしくは、楽しくて踊り出したい気持ちや、自分のことが誇らしくて嬉しい気持ちなど。

実際にかけられた言葉や本人が飲み込んだ言葉によって反応するポイントは様々だけど、「自分の気持ちがわからない症候群」の人たちは、とにかく例外なく「●●であるべき」という言葉が頭の中に強く植え付けられている。

自分がどうであるかよりも、どうあるべきか?ということを常に優先した生き方をしてしまっているから、自分がどうであるか?ということに興味を持つこともない。興味がないからわからない。

何が問題なのか

ところで、自分の気持ちがわからないということの何が問題なのだろうか?

簡単に言ってしまうと、幸せになるのが難しくなる。

感情というのは幸せを見つけるための地図のような働きをする。

その地図がなければ、どうやって幸せにたどり着けばいいのかわからない。

別にメルヘンな話をしてるわけじゃなく、ちゃんと考えれば当然だ。

何が好きか?なにをすれば嬉しいか?なにをするのが嫌いか?なにをしてると誇らしく思うか?

こうした感情の動きによって、人は自分を、自分にとっての幸せを知る。

ピアノが好きだからピアニストになりたいと思うし、ピアノの練習ができる。ダンスが好きだからダンサーになるという幸せが見えてくる。

「自分の気持ちがわからん」が重症な人になると、幸せというのは万人共通だと思っていたりする。

自分の感情に鈍感だと、幸せというものは絵に描いた餅、机上の空論のように感じられるんだと思う。

だから、「お金があれば幸せ」だとか、「安定してれば幸せ」「結婚すれば幸せ」とかいった嘘を信じてしまう。

幸せというのは人によってちがう。あなたにとっての幸せを教えてくれるのはあなたの感情である。

だから、感情がわからんということは大変なことなのだ。

感情を取り戻せ

でも悲観することはないと思う。自分の感情をちゃんとわかるようになるのはそんなに難しいことじゃない。

私は自分でやったからわかる。

何か腹が立ったり、イライラしたり、とにかく不快に襲われた時がチャンスだ。

その時、自分にきちんと聞いてあげるのだ。

「どうしてイライラしてるの?」と。

自分のハートの中で会話する。

最初は教えてくれないかもしれない。

「だってイライラするんだもん!」とかが返ってくることもある。

でもそれでもあきらめずに、しつこくしつこく問い続ければ、必ず何か新しいものが返ってくる。それが、自分の本当の感情。もしくは、そのヒントになるもの。

これをただ繰り返すことで、徐々に自分の感情が見えてくる。慣れてしまえばただの作業。

その作業というのは、あなたの親なり先生など、幼いころのあなたが頼りにしていたひとたちが、あなたにやってくれるべきだったことでもある。

でもまあ、人には事情があるしそれらの人たちを責めるのは別の機会に譲るとして、ここで言いたいのは、希望があるってこと。

過去、誰かに与えてもらえなかったものを、自分で自分に与えてあげればいい。そしたら大げさでなく人生が変わる、変えられるんだから。

まとめ

感情が分からないのは大変な問題だ。この状況から脱するには、不快な感情が起こるたびに自分に「なぜ」としつこく問い続けること。

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