くだらない私こそ素晴らしい

私はアラサーの、大した才能もなく金もなく、他人に自慢できるものなど大してありもしない割にプライドの高いガサツな女である。

スタイルも悪い上に最近筋トレサボって腹回りがたるんでいる。

自分には嫌いなものもあるくせに、自分だけは嫌われたくない、他人に悪く言われたくないと都合よくおもっている。なおかつ、こうして自分の欠点を認めていることもちょっとかっこいいとか思っているところが猛烈にダサい。

家賃を節約するため、ボロい家に住んでいる。

着ている服は安物ばかりだし、仕事は減った。自分から切ったなんて見栄を張ってしまうけど、結局大した実力がないから、一度二度断っただけで仕事が増えなくなっただけだ。

仕事の合間を縫って毎日うまくもない絵や文章を書いてSNSに上げて、周りからの反応に一喜一憂している。いい子ぶった内容だから、一部の人には嫌がられているっぽいし、結構よくリムられたりする。

と、こういうのが今の私である

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認めたくない自分

昔はこんな自分、絶対に認めたくなかった。自分を直視したくなかった。

自分の顔が、性格が、能力のなさが猛烈に嫌いで、とにかくこれはちがう、とおもっていた。

いつか絶対に克服してもっといい自分になって見せるから、そうなったら、もっといい自分になったら、ゆっくり自分を褒めてやって、自分を好きになって、幸せだって言おうと思っていた。

今が、こんなくだらない今が幸せだなんて言ったら、ここからどこにもいけなくなってしまうと思った。

「今ある幸せに目を向けなさい」なんて、馬鹿げたアドバイスだと思った。

そんなこと言われても、私が持っている不満はどこにも消えてくれない。くだらない。

諦めの恩恵

でも色々なことがあって、諦めた。

もういい、どこにもいけなくても。

このつまんねー女が私で、このつまんねー人生が私の人生だ。

妥協しよう、もういいや。これが全部なんだ。

もう頑張るのやめよ。

ムダだわ。どうせいいことなんて起こらないわ。夢見てもムダだわ。このつまんねーのと一生付き合っていくしかないんだ。

そう心から思った瞬間、肩の力が抜けた瞬間、見えてる世界が変わった。

これはちがう、こんなんじゃない、こんなんが私なんて認めない…っていう状態から、

このつまんねー色々しかないのなら、どうせなら、ちょっと好きになって、楽しんでみようと思えたんだろうと思う。

つまんねー人生をつまんねーなりに

このつまんねー女が私なんだとしたら、まあつまんねーなりに、かわいく化粧して着飾らせてやろうとか思う。ま、素材が素材だから大して可愛くならないけど、しないよりは随分いいと思える。

このボロい家が私の家なんだから、まあボロいなりに大事に綺麗に掃除して、アロマでも炊いて花でも飾ろうと思う。するとまあ、ちょっとばかし快適になる。やらないよりよっぽどよくて、けっこういい家かもと思える。水回りとか見るとやっぱぼろいなと思わされるけど、実際ボロいんだからしゃーない。

絵も文章もうまくないけど、こうやって描いたり書いたりしてる間が楽しい。
私の絵や文章を見て不快になる人もいる、そりゃそうだと思う。

私には欠点がたくさんあるもの。私なんてヘボでしょーもないから、嫌われることもあって普通だ。

なのにそんな私の絵や文章を好きだと言ってくれる人がいる。

まったく、天からの贈り物だとしか思えない。

素晴らしすぎて、ありがたすぎて涙が出そうになる。

「受け入れること」の意味

自分なんてこんなもんだとあきらめた。
わたしはもともと、ダサくてつまんない女だ。今、それをなんの悲しみもなく真顔で認めることができる。

そうすると、他人に欠点を悟られることが怖くなくなった。

嫌われても普通だと思えるようになった。ダサくてつまんない女が好きな人なんていないよね!笑

逆に他人に褒められたり、いい部分を見てもらえたとき、超ラッキーで有難いと思える。

まさにめっけもんである。大感謝、大感激である。

こんな私を愛して大事にしてくれる家族にも感謝が止まらず、愛が迸る。

今のわたしは、自分を心から褒めてやれる。

ダサくてつまんない女の割に、けっこう頑張っている。

才能も技術もない割に、意外といい絵が描けている。

能力がない割には、仕事もうまくやれている。ブスの割に、意外と可愛く仕上がっている。

わたし、けっこう悪くないなと思う。

人生、けっこう良いなと思う。

今苦しんでいる人に、あの下らないアドバイス、「今の幸せに目を向けろ」とかを言ってしまいそうになる、今のわたしは。

私を取り囲む全ては何にも変わってないのに、今幸せだから。

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