近道がわからなくても、とりあえず歩き出そう

ザ自己啓発

🍎です。

いやー毎日寒いですね。ほんと冬はねー、ついつい引きこもっちゃうよね。

こういう時に用事が入ると毎回思うのが、

「頼むから誰か今すぐ『どこでもドア』を開発してくれ」ってこと。なあみんなもそう思うだろ?笑

玄関のドアを開けたらすぐ会社、とかすぐ学校、とかすぐコンビニ、とかなればいいのにね。

どんなに技術が進歩しても、結局のところ、人は歩くことから解放されない。

新幹線や飛行機は超早いけど、駅や空港までは歩いていく。

タクシーに乗るにしても、タクシーに乗り込むのは自分の足だ。

どこかに行きたいのなら、誰だって「あー、どこでもドア普及しろ!!」って思いながらも、しぶしぶ服を着て荷物を持って、家から一歩出ていくでしょう。

そんなの当たり前だよね。

でも、どうしてこれが「夢」とか「目標」とかのことになると、家から一歩も出られないでいるんだろうなって思うよね。

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「千里の道も一歩から」なのは分かってるけど

うん。分かってるのにね。あ、これ私のことだけどね。

そもそも夢が何かわかんない、みたいな気持ちになったりさ。

「何がしたいのかはっきりしないから動きようがない」とか自分に言い訳しちゃう。

「きちんと調べてからじゃないとリスクが大きすぎる」とか。

「努力は裏切らないというのは嘘。正しい努力でなければいけない」とか。

「正しいルートを見定めなきゃ無駄に動いてもだめ」とか。

もっともらしいし実際間違っていないとも思うんだけど、自分に向かって山ほど色々言い聞かせながら、どうも気分が晴れないのは、やっぱり納得できてないから。

だって、どう考えたって、こんな言い訳を色々こねくり回すより、何かやったほうがいいんだもん。

「千里の道も一歩から」なんだってば!

失敗したって、何か学べることはあるはず。間違った道を行ってることが分かったら、そこはやめて正しい道にいけばいいだけなんだ。

でも、じーっと止まっていたら、明日も明後日もこの場所にいるだけだ。

「まだやりたいことが漠然としてるから動き出せない」とか言ってんのは、

「だいたい北のほう、みたいなことしかわかんないからどうにも進みようがない」っていうのと同じだよね。北のほうだってわかってるんだから、まずは家を出て、コンパスでも持って歩き出せばいいんだ。

夢や目標に地図はないけど、とりあえず歩き出せば、歩いている先に看板だってあるし、人だっている。

看板を頼りにまずはウロウロすればいい。

人と出くわしたら、その人に尋ねてみればいい。

電車やバスやタクシーに乗れる場所だってあるはずだし、ヒッチハイクだってできる。

だからやっぱり、動くしかないときは動くしかないのだ。

行き先が隣町だろうが海の向こうだろうが北極だろうが関係ない。どこかに行きたいと願うなら、まずは腰をあげて、歩き始めるしかない。家でお迎えを待ってても何も起こったりはしない。

重い腰をあげて動き出せるまで、「でも」を繰り返そう

私たちはいつも、私たち自身に邪魔される。

無駄だとかダメだとか恥ずかしいとか、そんな意地悪なことを、耳元よりも近い場所で、頭に直接語りかけられる。強力に縛り付けられる。

もう動けないんじゃないかな、と思う時もある。金縛りみたいに。

その場に押さえ付けられて、歩くことはおろか、立ち上がることもできないんじゃないかって。

でもそんな時も、やれることは一つだけなんだ。

頭の中に響き渡る声に、ちゃんと返事をする。

「それでも私はやるんだ。あそこへ行くんだ」

「無理だ」それでも行くよ。

「失敗したら恥だ」それでも行くよ。

「どうせ意味ない」それでも行くよ。

「お前には無理だ」それでも行くよ。

そうやって、脚に、体に、言い聞かせるだけなんだ。

立ち上がって、服を着て、靴を履いて、ドアを開けろ。

だいたいの方向だけ分かってればいい。方向さえわかんなくてもいい。脚を動かせ、

歩け。歩け。ただ歩き出せ!

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